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幸せの総量

こんにちは、露木です。
武蔵小杉でプライベートサロンをしつつ、このブログでは施術やサロンに関することに加えて日々考えたことについても発信しています。

幸せの総量

嬉しい時は、嬉しい気持ちを表現したいよね。

わたしが小学生だった頃、負けた人に気を遣って勝った人はガッツポーズ禁止でした。

徒競走で一番になっても、絵画コンクールで金賞をとっても、誰か負けた人がいるから、その人が気を悪くしないように喜びは目のつかないところで表現する。

負けた人たちの嫉妬、悔しさ、無力感

色々あると思いますが、誰かの喜びを抑圧することは、同時に誰かの悲しみを抑圧すること。

みんな全力で自分の感情を表現する機会を失ってしまった気分になります。

さて、過去のことは置いておいて、幸せの総量は決まっていないということで話をしてみたいと思います。

ゼロサムゲームという考え方があります。

これは例えばピザをみんなで分ける時に、誰かが多く食べると誰かが少なくなる、というような条件で行う試行のことで、競技スポーツで得点と失点が合わせてゼロになるようなものもこれに当たります(ピザを誰かが食べたらその分を誰かが食べられなくなる)。

一方でヨガやダンス(競技要素のないもの)など、それぞれが自由に楽しんで健康度が高まり、誰かが負けることがないという場合はノンゼロサムゲームと呼ばれます。

幸せというものがゼロサムゲームなら、誰かの幸せを妬んだり羨んだりするのも当然です。誰かが勝つと自分が負ける。そういう状態で生きていたら、そりゃたくさん持っているように見える人や幸せ全開アピールしてる人が目につくし、焦っちゃうよね。

でも、幸せはゼロサムゲームじゃない。総量が決まってないから、それぞれが自由に獲得できるもの。

なんでそんなこと今まで気づかなかったんだろう。

誰かが幸せなら、よかったねでいい。

自分が幸せである状態を表現すると、もしかしたら後ろ指をさされる経験があったかもしれないし、そういうことを気にして幸せを全力で味わえなかったかもしれない。

でも、嬉しい時は嬉しいし、悲しい時は悲しいし、愛おしい気持ちになる時は愛おしい。

幸せはゼロサムゲームじゃないから、あなたが感じた幸せは、全部まるっと受け取っていいです。

誰にも忖度なしで、あなただけのもの。

そしてそれを誰かが気にする必要は1ミリもないし、誰かが受け取った幸せをあなたが気にする必要も1ミリもない。

それぞれ勝手に幸せを見つけたらいい。

もしあなたが誰かに気を遣って全力で幸せを感じられないなら、幸せに総量がないことを思い出して欲しい。

あなたがどれだけ幸せでも、誰にも関係ないし、全力で幸せを感じたらいい。

あなたが誰かの幸せを見て苦しいなら、それを気にする必要は1ミリもない。だってそれであなたの幸せがなくなることはないから。

幸せの総量は、無限大。

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